ブルーなポップと中空ロック

何となしに音楽の話をしています。

so what?

2019年の春にこのブログを立ち上げてから5年が経った。といっても、まともな頻度で投稿していたのは最初の1か月程度で、投稿をすること自体も2020年末で終わってしまっていたようである。

音楽を聴いたり楽器を弾いたりすることは、飽き性の自分としては趣味といえる程度には長続きしかつ恒常的に行っている文化的な行動だった。その趣味が高じて、自分で詞や曲を作ったりもした。その一環としてこのブログに好きな曲の話や自作の詞を気ままに書いたりもした。

もちろん純粋に好きな気持ちはあるが、本来自分には音楽に対する執着的な興味はなく(真に秀でた人が謙遜または皮肉めいて使う意味でなく、言葉通りの意味である)、本当のところはそれよりもっと取るに足らない、なにか片手間な時間の浪費が、自分にとってより自然に毎日を満たすことのできる行動なのだとも思う。

反面、そうした行動、言わば人生を無駄遣いするような行動が社会的に認められることではないという自責の念もあり、あさましい話であるが、音楽に携わることが自分にとっての文化的、ひいては社会的な人間としての最後の矜持だと考えることもあった。それは信条としての意味だけでなく、何かの賞や売上げといった即物的な成功でないにせよ、友人ができたとか、演奏をうまくやったとか、創作したものをほめてもらったなどという、音楽活動を通じた人並みの体験から感じられたことでもあった。

何かに追われてまで続けるようなものでもないかという気持ちと、やめてしまったら真っ当なものには戻れないのではという気持ちが、このブログを書かなくなる前か後くらいから自分の中で何とはなしに巡っていた気がするし、それがより自然な向きへ傾いた結果、このブログの3年余の空白に語られるままの人生を過ごすこととなったのだとも思う。

正しくあるべき向きへ戻そうとして悪循環に陥ることもあった。実際そうすべきなのだとは思うが、今更どうこうなるものではないとも思う。一方で、かつてあったなけなしの思考や感性がすっからかんになってしまうことが口惜しいとも、またどこか感じている気もする。そんななあなあな心持ちのまま、今も毎日を続けている。

結局、事実として在るのは果たして自分はろくでもない人間であったというただそれだけで、音楽もやれば何なりかはあり、やらなければこのまま終わりというただそれだけなのだと思う。言葉を並べればまあ当然の事にも思えるが、自分の感覚として落ちるというのはまた別で難しいものである。

仰々しくなってしまったが、自分個人に日常生活が困難になるようなトラブルがあったわけではない。診断書をもらったわけでもなく、ネットカフェからブログを書いているわけでもない。甘えた事をぬかすと笑われても仕方無いが、自分にとっては重要なことであったし、時としてそうした心の機微がなにか暗い決心や行動につながりうるとも思わなくもない。

閑話休題、そんなこんなで音楽に関してもまたフラットな心持ちでやっていこうと思ったわけである。少し前まで惰性で昔の曲を聴くばかりになっていたが、最近は相変わらず偏りながらも新しい音楽(自分にとってという意味で、世間一般には使い古されたものであるかもしれない)を聴くことも増えたので、それらの話を飽くまで自己満的にこのブログでできればという次第である。またすぐにサボって消えてしまうかもしれないけれども…自らの思考活動の一助とならんことを。

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